現役時代、早稲田大学野球部の二塁手として活躍し、現在も指導者として野球に携わる岡村猛さん。60年以上に及ぶ野球人生の中で、野球そのものや選手から学ぶことも多かったといいます。「今後は野球とともに地域に元気を届けたい」と語る岡村さんに監督時代のエピソードやこれからの夢をお聞きしました。
幼いころからそばにボールとグラブがあり、兄のキャッチボールの相手になっていたので、野球は身近な存在だったという岡村さん。中学、高校、大学、そして社会人になっても野球を続け、30代以降は指導者として野球に携わってきました。
ーー監督の打診があった時、引き受けようと思った決め手は何でしたか?
岡村さん:野球の現場としては20年弱のブランクがあったので、早稲田大学から監督の打診があったときは不安もありましたが、やはり野球が好きで学生を育成・指導することに関心があったため引き受けました。不安より少しでも大学や野球部のお役に立ちたいという想いの方が大きかったんです。
ーー早稲田大学野球部の監督時代を振り返って、印象深かったエピソードを教えてください。
岡村さん:チームが大学選手権で優勝したことが一番のエピソードです。しかし、なぜ勝てたのか当時はわからなかったのです。監督を辞めてから卒業生と会って腹を割って話すと、『選手が主体的に考えてプレーしたから優勝できた』という結論にたどりつきました。野球は一球一球指示ができますが、プレーの瞬間、瞬間には選手に判断を任せることになります。その場に状況を考えて走る、打つことが大切です。勝利するには、選手たちが主体的に考えて行動し、お互いの信頼関係を築き、自立できる環境を整えることが大切であるということを学びました。
選手が主体性をもてるようなチーム作りを心がけていたという岡村さん。監督時代を振り返ると、選手への信頼や監督としての謙虚さなど、気付かされた部分が多かったのだとか。今後は、この監督経験をもっと広いフィールドで活かしていきたいと笑顔で語ります。
50代で監督を始めたパワフルな岡村さん。
監督時代は、朝8時からお昼くらいまで練習、お昼休憩を挟んで14時から18時頃まで練習という日々。夏は暑く冬は寒いグラウンドに、10時間近く立ちっぱなしだったといいます。その時に感じた体力の変化なども伺いました。
ーー監督時代はハードな生活でしたが、体調を崩したことはありましたか?
岡村さん:今考えるとかなりハードですが、緊張感があるからか一切風邪をひかなかったんです。辞めた瞬間にすぐに風邪を引きましたね。
現在は60歳を過ぎ、体の衰えも感じはじめたという岡村さん。監督引退後もスポーツジムやプールに通っていましたが、コロナ禍の影響で難しくなり、体を動かす機会が減ってしまったといいます。股関節や膝の痛みを感じ、筋トレやストレッチ、そして毎朝1時間弱のウォーキングを日課にしているそうです。
ーー今後も野球一筋でいきたいとのことですが、他にチャレンジしたいことはありますか?
岡村さん:孫に野球を教えたいですね。あとは茶道や書道など伝統文化の体験をしたり、絵画や写真の鑑賞をしたり、いろいろなことに挑戦していきたいです。
早稲田大学野球部で二塁手として活躍する。リーグ戦通算52試合出場、147打数41安打、打率.279、7打点。1978年3月に卒業し、東京ガスに入社。2011年から2014年まで早稲田大学野球部の監督を務め、2012年春季リーグ戦及び大学野球選手権優勝。